ボサノヴァCD流し放しにして、ひたすらエスキースしてます。でも何も浮かばない。手癖で犬描いちゃってます。(M・U)
白箱メモ
ぐずる風邪っぴきをマスクで抑え街へ這い出た。懐には案内ハガキの数枚。まずは今野治個展「浮上する風景」へ。タイトル作品、小ぶりながら、かっちりした造形。閃きのように同系の重なる色遣い。抽象的具象。あらゆるモノ巻き込んで街路を無言で突き進んでくる津波のマッス。冷徹に見届けるしかない。正面から。
ギャラリー檜BC 中央区京橋3-9-9 2階 1月31日から2月4日
画廊主に「是非に」と勧められ、立体の安茂、平面の安ちか子両展へ移動。目に飛び込んできたおおらかな木彫の手形。二抱えはありそうな数本が床から生え、まるで「やっ!」と声を発するかのよう。壁一面には版画原版のようなレリーフシリーズ、ごく薄いボックスアートが連続する趣き。内容物のごく一部にオフホワイトが塗られている。あまりにも作家の解説が面白く、少し後ろ髪引かれる思いで「楽園」をあとにする。
ギャラリー檜plus 中央区京橋3-9-2 3階 1月30日から2月4日
ついで隣接画廊へ。閉じられた小窓からただならぬ気配が染み出ていて、思い切って押し開ける。待ち構えていたかのように端から作品を解説してくださる浅野修さん。小さな画廊空間が彼方の大地を彷彿とするように拡張し始める。心の端子がどきどき振幅を強める。帯広からそのまま農機具やら馬具やらを転写し移設、錆び、ひしゃげ、反り返ったり、欠けたりの形態、陰影が藍色に縁どられること、すっと腑に落ちる。「こちらもどうぞ」と招かれた控室の壁には所狭しと小品の展示。作家の居間にお邪魔したような気分。すべてモノトーンの位相から妖しい背後の色彩がかすかに滲み出している。繊細で鋭角。 それはECMの音楽的ハーモニーに似る。
K'Sギャラリー 中央区京橋3-9-2 3階 1月23日から2月4日
辿りついた画廊はクロス壁の釘穴を見るだけでも強者どもの歴戦の場所。第47回昭和会展。栄えある「招待作家」渡辺有葵氏のハレを観に来た。新作50号、なんでこんなに光を放っているのだろう。構図のど真ん中から。暮れからこのかた「引きこもり」を徹底し、寝る間も惜しんで筆を奮ったおかげさまだって。東北芸術工科大学院、原田圭さんの「お椀雨」に胸を打たれる。パーティーの席で橋本くん、青山さん、葛巻さんに会う。著名な先生方、有望株若手のみなさん方しばし歓談。
日動画廊 中央区銀座5-3-16 1月31日から2月9日
国立新美術館3階のちょうどいいあたりの壁に周囲を優しく律している絵があって、そのオーラの出元に引き寄せられていったら渡辺有葵作品だった。
実は、展覧会入口を斜めに覗くと、「ややっ!あれは何だ?」左側の視界に深い混色の大画面があって、それは糸園和三郎画伯生誕百年記念展示のうちの、カーテンを全面に描いた吊元に何人かの掲げられた手の先が踊っている作品。残念ながら撮影禁止表示。
それにしてもなんだか居心地がよくて、作品相互は和気藹々というのか、すごく良い雰囲気。ところどころに置かれたソファに順繰りに座り、随分長居をしてしまった。 第36回土日会展 12月7日から19日 於ける国立新美術館3A (M・U)
渡辺有葵 ardent room F120号 キャンバス 油彩

個性がぶつかりあう展示。案外バランスが取れず、時には観る人に散漫な印象を与えてしまうこともある。
けれど、今展は絶妙なバランスでエネルギーが放出されていたと思う。それはウインドウを飛び出し、界隈へ路地へと拡散していった。
つくづく知らされる。アートは色彩と形態で人々と内奥で通ずる。それは確信へと変わってゆく。
通り過ぎようとする人が思わず惹きつけられて、扉をあけてくださる渡辺有葵120号、植松知祐ピンク連作の両サイド。
回りを一巡りして奥の奥まで覗き込もうとする人の姿が愛おしい伊澤夏男作品。
青山幸代の画面の前では、少女が作者と話がしたくて待っていてくれる。
葛巻桂子の上下組作品、長い時間対話をするかのような人が佇む。
周りの雑音を消し去る塚越由佳オブジェ。自分の居場所の頼りなさを知らされるのはなぜだろう。美しくはかないもの集積して。
橋本正太郎作品、冒険的パフォーマンス。あの人たちの側に立つ。徒労にも似た訴えかけがひたすら辛く痛く染みるのは、正しく現状を伝達しきった証左。
すべては奇跡のような巡り合いの限定された時間帯に出現した。見に来てくれた多くの人、ありがとう。たくさんお話ができてよかった。そして見に来てくれなかった相当数の方々、舞台裏を支えてくれた皆さん本当にありがとう。(M・U)
見に来て! 作品がすごいから!色が気持ち良いから。形が心をひきつけるから。
楽しいから! 集まる人たちが面白くて素敵だから。話がどこまでも弾むから。
昨日今日と、白箱の窓が一瞬にして曇る。真っ先に冷たさを運んできたのは渡辺有葵さん。本展のためにS120号キャンバスを抱え電車を乗り継いできた。二つ折りにしたとはいえ、畳を一回り大きくした2枚をだ。本人は全く気にもかけていないけど、他の乗客はさぞ面喰ったことだろう。実は私もこの夏おんなじことを経験している。その時は混む時間帯と重なったため露骨にいやな顔されたけど。
冷たい風に負けなかった画面は躍り上がる喜びに満ちている。暖かい光に満ちている。
「S・M・F」いよいよ本日スタート!
部分詳細。見よ!勢いある筆致を。豊かなうねりを。
幾つかの団体展を見て気分は重かった。震災や原発事故を扱う作品が数多く見られる。これを時宜にかなったというか、際物ととらえるのか(もちろん制作に時代感覚を引き込むというのはアリなのだが)、途方もない現実に絵画が手の打ちようもない姿を露呈したということ。
アコーディオン奏者の熊坂るつこさんも言っていた。客席に向かって「頑張ろう」という演奏家がいることに少し違和感を覚えると。ある歌手は、自らのレパートリーの阪神淡路大震災を唄った曲を一切演奏しなくなった(できなくなった)という。無力を受けとめ、歌うことに真摯であるからこそ思索しなおせる。
「佳境に」
もう何年目になるのだろう。この人の小作品展示。組み合わせの妙も加味されて、不確実なうつろい。微妙に振れている風景の中に浮かび上がる構成。個々の画面から何やら硬質な連続音を伴って、横並びの画面たちを繋いでゆく。
上出由紀展 10月17日から22日 銀座ギャラリーなつか
「地・樹・氣・雲」
未知の案内状を頼りに銀座へ。四人で構成されるグループ「東方の風展」。斉藤寛、高田和子、中村安次郎、中山伽耶。同じ地帯、同じ空気、イズムを纏う種族。思いの似た人たちがよくぞ出会ったものだ。大きな穏やかさに包まれてしばし滞在。
写真は斉藤寛作品 10月17日から22日 銀座井上画廊
「豪胆磊落」
本降りの雨がアスファルトを流れる最終日、絵画たちにたどり着いた。画廊主は「作家は食事に出ておりまして」という。全然構いません。作品さえ拝見できれば。友人の福ちゃんが「ぜひ見てほしい」と呉れたハガキ。濡れネズミになってきてホントよかった。こんな筋張った絵描きもいるんだ。外がじくじくしてるのに画廊の中は強力な乾燥の風が吹きすさぶ。100号超大作も写真「F20号?」の作品も、原色に見せて手が込んだ灰色がまぶさっている、ざらざらの現世に両手を広げて抗う気配。クールだ。ジャズも感じる。
11月14日から19日 後藤学展 京橋 ギャラリー檜BC (M・U)
ただひとりの思いが人々を惹きつけ、始まろうとしている。
失われたことばと光景を手繰ろう。
妄想に似た力は、思いがけぬ詩となり紡ぎだされる旋律に、塗り重ねられ、あるいは研ぎだされた補色からひかりが。
心があなたと同時に震え始める。
届くだろうか。
隠れ家「白箱」を探し当ててくださった
あなたがたに。
GAさくら会作品展スタート.
六日間のギャラリー期間のうち準備に二日をかけて、展示期間は正味四日間。何で?
作品に対面し少し理解できました。延々たる集積、構築された重み。一つ一つ。制作は時間との格闘だったのです。だから展示もじっくり心ゆくまで推敲したい、って。
紬ぎ出された微妙な光のハーモニー、奥深い色彩の広がり。作家十六名の競演。この光景、味わいに来てください。
11月3日(文化の日)オープニング。
16時より、シューマン村上&佐久間咲良のジャズライブも。










